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私の学びの物語 - Andrea's Journey

イタリアで研究者として、そして実験教育学の教授として働くAndreaは、次世代の教育者を育成する傍ら、レッジョエミリアのロスタノーバでコミュニティ連携のための様々な活動を積極的に行っています。

私について

私のアンドレアという名前は、祖父の名前から名づけられました。祖父は船乗りとして世界中を旅し、多くの国で様々な人と出会いながら、人生を過ごしていました。祖父は教育を受けていませんしたが、知ること、発見すること、本を読むことが好きで、表面的なことではなく、その向こう側を見ようとしていました。テレビの情報は信用せず、ラジオも聞き、本も読み、あらゆる出来事に関して常に自分の考えを述べ、「何も言わないということは、死んでいることと同じだ」と、口癖のように言っていました。サッカーには興味がなく、1986年のワールドカップでイギリス対アルゼンチンの試合があった際には「植民地主義とは何か」を私に語っていました。子どもだった私には理解できない部分もありましたが、祖父の話に影響されたのか、私はその夜、アルゼンチンを応援したことを覚えています。

家族の中で高等教育を受けたのは、私が初めてでした。義務教育を受けた後、高校、大学へ進学、無事大学を卒業しました。今は研究者として、そして、実験教育学の教授として、大学で働いています。未来の教育者を育てるのが、私の仕事です。中学校時代の先生が、今の私の姿を見たら驚くと思います。高校の試験に落ちた私を見て、「彼は、勉強には向いていないと思います」と両親に伝えていたのですから。でも、ある意味、先生が言っていたことは正しいのです。教育者であるためには「勉強」以外のことを学ばなければなりません。人に知識を教えることもしますが、それ以上に大切なのは、生徒と人間関係を構築するということなのです。

私にとって仕事とは

生徒たち(と言っても、教育者としての一歩を踏み出している大人ですが)とは、「教育者には、どのような責任があるのか」を共有するようにしています。私たちが相手にするのは人間で、教育者の仕事は、人間と関係を構築していくことです。人との関係は、成長もあり、発展もする。常に変化し続けているのです。そのため、その変化に対応していく必要があります。また、人と関係を持つと、関係を持った相手に影響を与えるため、その責任も感じなければなりません。

人と関係を築いていくうえで、欠かせないのが創造性です。私が尊敬するブルーノ・ムナーリというデザイナーは、次のように言っています。「創造力は機敏で柔軟な知性を必要とする。つまり、いかなる種類の先入観からも解放された精神、どんな場合にも自分のために学び取ろうとする精神、より適切な意見に出会ったならば、自分の意見を修正できるような精神を必要とするのである」(ファンタジア、ブルーノ・ムナーリ著、1977年)
人は、子どもの頃から、人と関わり合いながら生きています。幼少時代に経験することや触れるもの等は、人かたちづくるための非常に重要な要素なのです。育った環境、自分の面倒を見てくれた人、学ぶ中で出会った教育者等によって、それぞれの人生がつくられていくのです。「ある人が将来クリエイティブな人間になるか、あるいは単なる記号の反復者になるかは、教育者にかかっている」とムナーリは著書の中で書いています。私たち大人は、重大な、大きな責任を背負っていることを自覚しなければなりません。人間社会の未来は、私たちにかかっているのです。

私が学び続ける目的

私の学びの原動力は、自分の短所に関係があるのかも知れません。私は近視なので、遠くのものが見えず、一生懸命焦点を合わせようとします。これは、私の性格にも表れています。ものごとの本質を追求するくせがあり、やり始めたら、とことん突き詰めるタイプで、頑固です。決して閉じることがない円があったとしても、閉じないと気がすまないのです。人は、世の中のすべてを知ることは出来ませんし、人のすべてを知ることもできませんが、可能な限り見ようとし、探求し、知ろうとすることはできると思っています。でも、それを自分でやることと、人に教えることとは、わけが違います。ガリレオ・ガリレイは、ある日、地球が太陽の周りを回っていることを発見しました。聖書に書いてあることとは真逆でしたが、彼は望遠鏡から自分の目で見で、計算をして、発見したのです。見てしまったことを、なかったことは出来ませんし、黙っておくこともできませんでした。しかしながら、地球が太陽のまわりを回っているなどと、誰も信じるわけがありません。自分が見たものを、他の人に教えたり理解させることは、本当に難しいのです。

私が今できることを探して

今、私は自分の母校の大学で教えています。18年前に卒業して以来、足を踏み入れることもありませんでした。学生時代に授業を受けていた教室で、自分が教壇に立ち、初めての授業を行った時のことは今でも覚えています。その時の感動は言葉にできません。私自身を含め、皆、私が大学を卒業して、教師になるなんて、全く想像していなかったのですから。

込み上げる涙で言葉に詰まりそうになるのを堪えながら、私は初めての授業を始めました。そして「自分の娘がなぜ宿題をしないのか」を生徒に話し始めました。教育者として働く意味を伝えるために。




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