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私の学びの物語 Lomi 's Journey

フィンランドで翻訳、通訳、リサーチなどの仕事を続けてきた彼女は、20年前に日本からヨーロッパへ渡りました。今も自分の理念を磨き続け、常に挑戦し続けることを忘れません。

私について

私はヘルシンキで開業している「個人事業主」です。主に翻訳、通訳、リサーチ・コンサルティング、旅行業に関わっており、リサーチ以外はフィンランドの公認資格を取得しています(フィンランド政府公認翻訳者、コミュニティ通訳者、公認ガイド)。また、業務の一部は、出来高ベースの給与という形でも報酬を貰っています(ちなみにフィンランドでは、給与が支払われる場合、出来高ベースであっても雇用主は社会保険料を負担する義務を負っています)。

フィンランドには、結婚に伴って2001年から在住しています。その前は、日本の大学で外国語学部だった延長で、日本での会社勤務を経て1998年からリトアニアのビリニュス大学でリトアニア語を学び、途中から同学の東洋学センターで日本語の講師もしていました。ヨーロッパに来てから現在トータルで20年あまり、振り返ってみると、言語と地域研究という、今まで自分なりにコミットしてきたことをベースに今日にいたっているとも言え、結果的には若い頃とあまり変わらないコンセプトで仕事をしてきた気はします。

ただ、思いがけずフィンランドに移り住み、子育てなどもしていく中で、ここで何をして生きていくかはある時期それなりに考えたと思います。比較的長い期間こちらのオーケストラ連盟でインターンをした後、現在の仕事と働き方を選ぶに至って10年以上が経過しています。起業にあたっては国やヘルシンキ市の機関から支援を受けたり、現地の資格をいくつか取得し、資格取得のための学校に行き、それ以外にも職能団体の研修なり、関心のある大学の授業やコースなりに通うように努めてきました。また、日本にいた頃の就労経験も、仕事をする上で大切な財産の一つです。今では必要としてくださるクライアントもあり、さほど目立つアピールをしてきたわけではないにも関わらず、安定して仕事を続けることができました。ここ数年は、フィンランド国内の人材育成(職業教育)に関する業務など、開業時には考えていなかった新しいタスクにも声をかけてもらうこともあります。

私はここでさまざまな科目を研究しましたが、まず植物生物学と教育学から学びはじめました。なぜなら一番好きな分野であったこと、そして環境教育に特化していたことがその理由です。そして私は今、子どもから大人までを対象に「自然がどのように機能し、どのように環境にやさしく生きられるか」について教える仕事をしています。

私はこれまで、ネイチャースクールで、ネイチャーガイド、自然史博物館のガイド、学校で環境をテーマにしたレッスンを行う環境大使、学習教材作家、ネイチャークラブインストラクターとして働いてきました。今私はEnvironmental Education Designerとして教育輸出会社で働いています。ちょうど今は中国人の親と教育者のためにさまざまな環境教育トレーニングを設計しています。私は働きながら自分の持つ自然環境に関する知識を生かすことが本当に重要だと気づきました。気候変動など、世界最大の問題を解決するには、それらすべてについて人間が理解する必要がありますが、その上で教育は私たちが抱えるあらゆる問題に対する最善の解決策であると私は信じています。これは時間のかかかる解決策ですが、最も効果があるのです。

私にとって仕事とは何か

仕事をすることには複数の意味があると思います。一番現実的な面としては、生活の手段や経済的な自立、安定。同時に、自己実現の方法の一つでもあるでしょう。仕事を通じて社会の中で全うすべき自分の役割が示される、また社会に働きかけるための機会という部分もあるかもしれません。現在、個人事業主ということで、経理を会計事務所に外注している以外は一人だけの組織ですので、よく言えば、超ミニマムながら安全な自分の城が築けているかもしれない、とは思います。その一方で、独りよがりになったり、自分の殻に閉じこもったままになったりしないようにする必要もあります(もちろん、そうなってしまっては仕事にはならないと思いますが・・・)。
仕事は、いろいろな方々や社会とコミュニケーションを図り、学びを深める場でもあり、社会課題や個人の問題・ニーズを理解し、社会に参加し、同時に社会と折り合いをつける機会になっているとも感じます。自分の仕事はサービス業だと考えていますので、ビジネスの上では、クライアントにとってプラスの意義や価値をもたらす成果を出すことが私にとって何よりも重要なことです。ただ、願わくば、そうすることが私自身にとっても意義のあることであってほしいとは思っています。自分の理念なり良心が仕事に反映できることを願う人は多いのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

私が学び続ける目的

一言でいえば自分のためです。仕事の質の向上といった目的もあるでしょうが、それ以前に、自分の人生をどう生きるかという命題と繋がっていると思います。変動する世の中にあって、学ぶことなくして自分の身の処し方を判断することは不可能だと思います。私が知る限り、現在のフィンランドでの教育でも、学校の中に限らず一生学んでいくこと(生涯学習 Lifelong learning)、そのために「学び方を学ぶ(Learning how to learn)」といった考え方が幼児教育や義務教育のうちから国のコアカリキュラムレベルで導入されており、義務教育を終えた後も、一人一人が自分の適性に応じて、他でもない自分のために学び続け、自分自身が納得する道を歩めるように支援することが教育者の大きな役割の一つとされています。人が自分で納得のいくことをしている時、その人は最も優れたパフォーマンスを発揮できると考えられているのです。それは事実だと私も思います。
学ぶことについて障壁や制約を感じることがあっても、もし、自分にそうした制約がまったくなかったとしたらどうしていきたいかを純粋にブレインストーミングしていくことは、自分に与えられた大切な時間を生かす上でとても大切ではないかと思います。現実はどうであろうと思考を羽ばたかせるのは自由ですし、楽しい作業だと思います。そして、自分の人生に責任を負えるのは自分しかいません。

いつでも、どこでも、どんなことからでも学べること。点と点が繋がって、物事の成り立ちのようなものが理解できた時や、それがいろいろなことに応用がきくこと、学んだことで何らかの成果が出せた時の達成感も喜びに繋がるでしょう。いまどきの表現で例えるなら、ステージをクリアしてアイテムなりポイントなりが増え、自分が強くなっていく感じかもしれません(余談ですが、学ぶ喜びや意欲付けの観点からゲーミングを学習活動に応用する研究も、もう長い間行われているはずです)。新しいことを学ぶ、あるいはすでに身についている知識を再検証したり、深めたりするなど、いろいろな学びのアプローチがあると思います。また、すでに学んだことから一旦離れて新しいスキルや考え方を身につけていかなければならない場面も、目まぐるしく変動する現代社会には数多く見られることだと思います。できればそれさえも、楽しめればよいとは思いますが・・・。また、日本語の情報だけでなく他の外国語、少なくとも英語でさまざまな情報にアプローチすることも重要だと思います。例えば、ある時事問題で日本語のニュースに書かれていないことが、他の言語の媒体には書かれていたりすることもありますので。

私は自分の能力の限界やもろもろの自分の短所、時間的な制約など、常に自分と闘っています。最近は年齢のせいか「ハードルはあるけれど、自分にとって成長のチャンスかもしれない」という時に守りに入ってしまうことも結構あります。「10年前に声をかけてほしかった」と思うような(笑)また、仕事ばかりでなくもっとアカデミックな勉強がしたい、という葛藤もあります。他にも、これまで失敗や挫折はたくさんありますし、過去を振り返って後悔したり、自分が嫌になったりすることもあります。でも、私に関しては、後悔こそが「いま、ここで頑張る」原動力になっている部分もありますし、その頑張る機会が与えられていることにも感謝しなければならないと思っています。特にフィンランドに来てからは、自分の思い通りにならないことを環境や境遇、人のせいにすることはなくなりました。フィンランドでは、制度や経済的なことだけを言うなら、自分の学びが阻まれる外的要因はほとんどないからです。やり残した、やり切れていないと感じることは、時間と状況の許す範囲で実際に取り組んでみて、今している仕事と比べてどのくらいコミットできるか、自己評価してみたりもしています。

学び続ける、創造しつづける全ての仲間たちへ

今の時点では、自分の学んだことを生かす機会は仕事の中に最も多くあるのではないかと思います。私の仕事は、平たくいうと「請け負った業務やプロジェクトに対して、成果物やその他の具体的なサービスで結果を示すこと」ですので、その点では学んだことを直接的、間接的に仕事に活かす機会はありますし、それが求められているとも思います。資格に基づく業務など、フィンランドの法律や教育当局で定めている条項や要件から、業務の意味するところや社会性が明確になっているものもあります。よいフィードバックが得られれば、クライアントの役に立つことはできたといえるでしょう。ただ、もう少し広い意味で、自分の学んだことがどれだけ社会全体の役に立っているのかまでは、正直言ってよくわかりません。社会の役に立つことは願っていますが、多くの場面で自分は無力だと感じています。私にできることは、自分の影響力を過大評価も過小評価もせず、常に自分の思考を整理しておくことかもしれません。最近、さる日本の研修グループからフィンランドにおけるSDGs関連の取り組みについて問い合わせをもらい、視察にいらした際に簡単に紹介したところ、その方々が日本に戻られてから再結集し、SDGsをさらに学ぶためのワークショップを開催されたと聞きました。SDGsは国連の開発目標であり、私個人の主張でも何でもありませんが、お話しした際に一点だけ「これは、ポーズで行われていることではない」と付け加えました。あくまで一つの例ですが、私が伝えたメッセージが日本で影響力を持つ方々に響き、その方々の力でさらに広く社会に伝わり、何らかのよい変化に繋がっていくとしたら、微力ながら生きた仕事ができたとは言えるかもしれません。

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